ねぼう日記

社会人の社会学

大学と社会の断絶

 

Fラン大学を卒業し、社会人として数年が経ち、この辺で一つ何かしら思うことをつらつら書いてみようと思う。

 

自分の場合、大学と社会の断絶は想像を絶するものだった。

本を読みふけり、たまに旅に出ては美味しいものを食べる。

そんな気ままな生活は就職を機に一変した。

 

就活はそれなりに頑張った。表面的な面接スキルをひたすら磨き、瞬時に相手の求める答えを返答できた。

そんなこともあり、就活生に人気のある広告業界に潜り込んだ。

 

しかし、創造的な仕事がしたくて入社した広告会社では、ひたすらクライントの言いなりで、延々と雑務に追われる毎日だった。「クリエイティブ」という言葉に踊らされていた学生時代の自分が憎かった。

 

学生時代、周りからは散々、社会は厳しいと言われてきたが、正直ここまでとは思わなかった。

4年間、ほとんどストレスの無かった人間からすれば、同じ世界とは思えなかった。

 

クライント先に向かう地下鉄の中は、これまでと全く違う景色に見えた。

行きたいところに行き、したいことをする事が当たり前に思っていたが、そこではまるで自分が囚われの身になっているような錯覚にとらわれた。

 

入社して間もない自分ができる事など何もなく、ただひたすら見えない「社会」に引きずりまわされていた。

 

毎日終電まで働き、次の休みはいつになるのかも分からない状況が続いた。

残業代、休日手当、有給休暇、代休すべて無かった。

 

新卒で入った自分はこの会社がおかしいのか、それとも世の中の会社はどこもこうなのかという判断基準を持ち合わせていなかった。

 

それでも華やかな面だけを強調して、就活生を集め、ぼろ雑巾のように扱うやり方には違和感を感じた。

業界研究が甘かったと言われればそれまでかもしれないが、社会を知らない無知な就活生にはあまりにも酷だと思う。

 

「理想」と「現実」

 

この落差に絶望してのたうちまわることが自分にとっての大学と社会の断絶だった。

 

つづく